ジャニヲタこじらせたアラサーが10年ぶりに担当を作った話。
「流行りのものはとりあえず試してみる」
アラサーにもなると、新しいことや流行りのものに手を出すことが億劫になったりする。
だからこそ、あえて流行りのものに乗っておこうではないか。
本家ブログを見てくれている人は分かっていることだと思うが、これもどれだけ続くか見ものである。賭けてもいい、たぶんそのうち飽きる。・・・自分で断言しちゃったよ(てへぺろ☆)
しかしながら、今のこの感情とそうなるに至った経緯を何かに残しておきたくて開設することを決めた。
"担当"について、私なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの
では早速本題に入るとしましょう。
私は、本日3月9日を持って藤井流星くんの担当になることを決めた。
話題の「担降り」ではない。私は10年以上eigter*1をしているが、いわゆる"担当"は決めていないので、厳密にいえば「担降り」ではないと思っている。さらには関ジャニ∞をこれからも応援したいと思っているし、eighterは辞めるつもりは毛頭ない。「担当はひとりじゃいけないって誰が決めたの?」なんて私の中のリトル本田が、そっと囁いてくる*2
関ジャニ∞も、ジャニーズWESTも同じくらい好きなのだ。選べない。どちらかひとつなんて選べるわけがない。
余談だが、小さい頃から欲しいものが2つあって悩んでいると、祖父が「迷ったときは両方とも買いない」とよく言ってくれた。もしかしたら、その言いつけを今も守っているのかもしれない。
「流星くんの担当になろうかな・・」そう考え出したのは今年のはじめ、一発めぇぇぇぇぇぇぇが終わった頃だった。
一発めぇぇぇぇぇぇぇではもちろん、流星くんのうちわを振っていたし、双眼鏡でずっと流星くんを見ていた。流星くんしか見ていなかった。
ここまでくれば、当然「藤井担」でしかない。私も当事者でなければ、そう思う。
でも、なかなかすぐに決めることは出来なかった。決断するまでに2か月を要した。
「何日か」どころか、「何か月か」が正しいが、私が出した結論は「藤井担になること」だった。
錦戸担だった10年前
「え、錦戸担やったん!?」と、身内にすら未だに驚かれるが、実は10年前は錦戸担だった。黄色のブギT*3着て、錦戸うちわ振って、錦戸亮が何より好きだった当時JKの私。
そんな錦戸担の私は約2年で幕を閉じた。もう10年も前のことだから、どういう経緯でそうなったのかは忘れたが、私は「錦戸担を辞めて、担当を作ることも辞めた」。
“担当”という概念について、あまりこだわりはなかった。”担当は作らない主義”だったが、「誰担ですか?」って聞かれたら、いちいち説明するのも面倒だから「あ~村上くんですかね」とか答えてた。*4関ジャニ∞のメンバーの個人うちわは全員分持ったことあるし、「この日は大倉で入るから!」と緑色の服で参戦したこともあるし、本当にこだわりなく好きにやっていた。
君と出会って、私は変わった
“担当がいた時間”よりも”担当がいなかった時間”のほうが圧倒的に長かった私は不安だった。
「流星くんが好きじゃなくなったらどうしよう・・」「流星くんって決めちゃっても後悔はしないだろうか」「なんで流星くんだろう」そんなことをずっと考えたりした。
でも次第に、考えてても仕方ないなって思うようになった。
そんなことよりも、10年ぶりに担当を作ろうとまで考え出した気持ちを大事にしてみようという結論を、悩んだ末に導き出した。
だって、キリがないのだ。
「なんで流星くんなんだろう」って、そんなもん「好きだから」でしかない。”たったひとつの理由は、好きだから” *5でしかないのだ。
流星くんを好きになってから、何度も自分の新たな一面に遭遇した。
関ジャニ∞を応援しているときにはなかった感情や、楽しみ方や、違ったスタンスや、本当にいろんな自分に出会うこととなった。
だから、”藤井担になる”ことは不安よりも楽しみのほうが大きかったりする。
周りには「え、藤井担じゃなかったの?!」とか「ちょ、今更www」とか思われてるんだろうし、実際”藤井担になる”からといって、特に何が変わるわけでもないことは分かっている。
でも、だからこそ気負わずに藤井担ライフを楽しもうと思う。
最後に
“藤井担になること”を本格的に考え始めてからしばらく経った頃、ジャニヲタ界隈では”担降りブログ”が一大ムーブメントとなった。
そのおかげで、多くの人の”担当”や”担降り”について色々考え、私なりの答えを導き出せたわけだが、ジャニヲタにとっての”担当”に対する価値観の闇が深いことも分かった。
流星くんのことを「格好いい!好き!!」と言い出したのは、ちょうど1年前の3月9日。なんの流星くんを見てそう思ったのか、なぜ突然そんなことを言い出したのか、私にも全く分からない。ただ、直感的に”好き”だと思った。「ビビッときた」まさにその通りなのである。小学生のころは何言ってんのかサッパリ分からなかった松田聖子の「ビビビッときました」発言が今なら分かる気がする。
本当はもっと書きたいこと、今までの経緯、たくさんの想い、色々あるけど全部書くとキリがなさそうなので、このへんで。とはいえ、長々と失礼しました。
しがないヲタクの身の上話を読んでくださり、ありがとうございました。